『糸で紡ぐ地域の再生』傍聴してきました。
各パネリストの報告により、日野はかつて
養蚕業で生活してきた町だったことが良く分かりました。
新選組もその財源に日野の養蚕が関わっていたことでしょう。
絹製品は日野から八王子・横浜を通じて海外につながっており、
郷土を知る上で大切な要素だと思いました。
郷土史を知る、つまり自分の住む町の歴史を知る上で、
「桑ハウス」は大切なシンボルであることもよく理解でき、
有意義なフォーラムとなりました。
パネリストの後ろにある写真は、かつての蚕糸試験場の全体の写真です。
日野第一中学校からみた、桑ハウス方向
(スポーツ公園、ふれあいホール、仲田小域も入っている)です。
日野図書館の「日野宿発見隊」が写真を収集、制作しています。
日野にカメラが珍しかったころの昔の写真があふれているのは、
日野にサクラカラー(コニカミノルタ)があったからと言われています。
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