樹木だけでなくお花を植えて、動植物多様性を増やしていきます。生き生きな公園にしたいと思います。そのためには土をよくする必要があり、卵の殻を募集しています。

2010年2月2日火曜日

ある男の独白

仲田の森は、もともと国のもので、蚕糸試験場と呼ばれる、
絹をつくるための蚕(かいこ)と餌の桑(くわ)の研究施設であった。
その役割が終わり、桑畑が更地となり、
30余年の間人を寄せ付けない場と化したからこそ、
この森は人の干渉によらず、希有な例として、自然が自然のままに育った。
それがどのようなことか、この30年の無人実験地に来れば、それが観察できる。
そして公式記録はされず、また更地になり、
日野市民にとって燦然と輝く、約7500平米のコンクリの建物が2年後に建つ。


仲田の森の朝。
東の空が、群青色から緋色のグラデーションを描き始める。
群青色は、ウルトラマリンブルーとも訳される。
深い深い濁りのない青。この青はこの寒く、
空気の澄んだシーズンしか見られない。
その深い青から、焼けつくすような緋色へ、
太陽が出る方角から変化が始まる。
仲田の森で太陽が昇るのを見るのは、
この5年間、自然保護活動をしながら、
実は恥ずかしながら初めてであった。


<東の空>

人の手が入っていない、縦横無尽に延びた枝がシルエットとなり、
この、日の出のグラデーションを演出する。
いまは冬。森とは言え、葉は少ない。
「枯野をかけめぐる」
昔のある人はそう詠んだそうだが、
この森の、日の出の枯野は、あたたかかった。
枯野は殺風景なイメージを喚起するが、
それは自然に触れない人間の勝手なイメージではないか?
彼が死に際にあえて選んだ「枯野」という言葉。
そして、ここにはこのようにも暖かい枯野があるとは!
かつて三多摩武蔵野に広がっていたであろう里山と森。
そのありふれたはずのイメージが、
いままさに、この日の出で思い起こされる。


<霜の降りた下草は色とりどりだった>


日の出の枯野のなかで、私の頭はこの5年間のことが駆け巡った。
2005年に「ふれあいホール」のことを知り、なにかと役所に通うようになった。
それまで役所といえば事務手続の程度であり、
人間味を感じず、付き合いのない場所だった。
署名活動以来、足しげく通う私を、担当者は訝しがったが、
それもやがて、情熱からの行動であることを分かってもらえた(と思う)
役所内に、私の活動へ理解をして下さる方々も出てきてくれた。
役所内で働く人たちは、それぞれの立場と個人的な考えのギャップに耐え、働いていた。
そこには人がいるのである。

そして活動を介して、思いがけない沢山の方々と知り合えた。
自然保護活動に興味がある人とのつながり。
仲田の森に目的があって着目した人とのつながり。
たまたまやって来た人とのつがなり。
昔からの個人的な友達とのつながり。
個々のつながりはみな違うけれども、みなが”仲田の森に感じている想い”
ただそれだけに呼応して、手伝ってきてくれた。

私は今まで写真を使って、ここの良さを皆さんに伝えてきたけれど、
おそらくまだ、その良さを伝えきれていない。
伝えるべき地元の人に、伝えられていない。
そしてタイムリミットがまもなく来る。正直に言う、私は悔しい。

しかし、このようにも培った多くの思いがけない人々との出会いが、私を育ててくれた。
この森の偉大さ、この森を介して、さまざまな主義主張を超えた、
多くの人々とのつながりができたことを、実に感謝している。
この5年の活動で、森は言った。自分と対極にある人とも共に歩むべきだと。
その真意を、まだ解釈しきれていない。しかしそれで、
多くの人に支えられた、いまの私が、ここにある。



仲田の森はさらに明るくなり、鳥がさえずり始める。
ツィツィツィー
ツピィツピィツピィー
ツィツィツィー!チチチチチ!

明るくなるとともに、鳥の独奏が二重、三重奏となり、やがて四重、五重奏となる。
ああ、こんなにも、朝の森とは賑やかなのか。マーラーの交響曲を連想させる。
賑やかでありながら、空気のシンとした抜けるようなすがすがしさ。
雑念が削ぎ落とされるとは、このような感覚なのか。
”太陽と森のエネルギーそのもの”としか表現しようのない、
空から地面から圧倒的で大きなものを、体全身に感じる。
太古の人が感じた、太陽を神とするものとは、このようなものなのか。


<朝日のあたるケヤキ>


私は思った。
残りわずかな時間でも、仲田の森の良さを、私は伝えていきたい。
そして「ふれあいホール」の耐久は計画で25年という。
「ふれあいホール」後は、また森へと戻るかもしれない。
どうなるかは誰も分からない。
そのときのために、いまある木々と種子を、
できるだけ種類多く、残しておきたい。
ああ、30年後が愉しみじゃないか。一番の愉しみは老後に残しておいた方がいい。
今来てくれているおばちゃん世代には長生きしてもらって、俺がおぶっていけばいい。
そのような想いで、2月6日「植物のお引越」、お待ちしております。

(S.N記)

0 件のコメント:

コメントを投稿