樹木だけでなくお花を植えて、動植物多様性を増やしていきます。生き生きな公園にしたいと思います。そのためには土をよくする必要があり、卵の殻を募集しています。

2011年3月7日月曜日

なぜ 「森」が必要か?

詳しくは書けないのですが、「仲田の森」に残された最後の緑地が、来年以降、森として存続できるか、今月はその分岐点に来ています。

これまで日野市内外の、大勢の方々に多大なる協力をいただいて、5年に及ぶ歳月と労力を費やしてきましたが、そこでは力の至らなさを感じています。

なぜ私が森にこだわるのか人に問われたとき、これまで的確な答えをできずにいました。しかし5年続けたことと、ある意味、切羽詰まった状況において、ようやく分かったような気がします。

経験に基づいた記憶は、その人を確実に変えると思うのです。


仲田の森にある大樹を見たとき、見るだけでなく、よじ登って幹に抱きついたとき、生命力の根源というものを私は感じました。これはパソコンや文明の利器では得られない感覚だと思います。

それは理屈ではない。教科書に出てこない。しかし素直な状態になった人ほど、分かってもらえるものだと思う。小さい木では感じられない絶対的な安心感。そのような大樹を、自分の住む街で見たいのです。

そして大樹というのは、大樹一本あれば生きられるものではない。そういうことを知ったのも、仲田の森があったからこそでした。大樹の周りの小さい木々や草、地衣類と言われるコケ、キノコ、昆虫と鳥、小川の生き物たち。それら全てが生きられる環境で、ようやく生きていけるのだということを。当初は意味が分からずも、仲田の森の活動を通じて知りました。そして自然発生する、意図しない草木の恵みがあるからこそ、人が親しみを持てる場所になる。人が集え、人が森という「場」を大切にする。 いままさに、あの「場」はそういう流れにつながってきている。

だからこそ、この場所は「森」でなくてはいけないのです。

◇◆◇◆◇

ぜひ皆さんにも、森の良さを知ってもらいたい。自分の住む町に森があるのとないのとでは、どれだけの差があることか。

森が森として育つには、数十年の単位がかかるのです。今年はその元年となるよう、なんとか端緒につけたい。いま森に来る子供たちが大人になって、自分の子供を連れて戻ってくる頃、いま森にある幼木が、ようやく森を構成する木々となる。いまある大樹は本当の大樹となる。 そういうイメージを、皆さんにもぜひ、森に来て ”イマジン” してもらいたいのです。 自分の孫に何を語り、何を伝えるのか。そういう「場」があれば、日野市民として末代まで誇れるじゃないですか。

何かを残すなら、そういうものを私は伝えたい。


これまで皆さんに色々ご迷惑おかけしてきました。
しかしこれからも、どうぞよろしくお願いします。

(画像のイチョウはすでに仲田の森にいません。細かい部分はさておき、未来の仲田の森の大樹をイメージしてUPしました)

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